パリと、ナポレオンボナパルト

 

フランスは3回、国が終わりそうになったことがあって、いずれも3人の偉人たちによって建ち直り、発展を重ねている。

 

1人は、ジャンヌダルク。神の声を聴いて武器をもち、フランスを英国から救った泥臭い女の子。

1人は、ナポレオンボナパルト(ナポレオン1世とも呼ばれる)。ヨーロッパ中を戦争に巻き込んだ、今もなお人々を魅了し続ける野望に満ちた人。

もう一人はシャルルドゴール将軍。第二次世界大戦で、フランスをドイツから救った長身の男。

 

 

もともと、ナポレオンが生まれたのはコルシカ島。ナポレオンがうまれるたった3か月前に、ジェノヴァからフランスに統治権が渡って、対して成績もよくなくいじめられ、でも天才的軍事力と統率力で皇帝になり、堕落し、復活し、フランスを大恐慌に陥れて、孤島で死んだ、ロックな人生。今でもフランスでは、子供にナポレオンと名付けるのは禁止されているほど、国民に愛され、強く名を刻んだ人である。

 

 

 

ナポレオンの戴冠式 ダヴィッド作はルーブルにある。

 

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作品があまりにも大きくて、写真を上手にとることは難しかった。だから中心部分だけの写真を撮った。ルーブルで一番大きな作品はカナの婚礼(モナリザの向かいに位置する)だが、こちらの作品も非常に大きく、英雄ナポレオンと最愛の妻ジョセフィーヌが周囲に埋没することなどなく、華やかで、新聞の一面に載ってもおかしくないような、写真みたいな、歴史の大事な一場面を切り取りました、というような感動せざるを得ない作品だ。

 

ちなみに先ほど述べたカナの婚礼も、ナポレオンがヴェネツィアを征服した際に、修道院の壁からベりべりっとはがしてきたものらしい。こんな大きな作品、持ち帰れと言われても困っただろうにと思うが、ルーブルにはそのような作品ばかりだ。

 

閑話休題、ナポレオンの戴冠式の話だが、はじめてこの作品を見たときわたしは当時17歳は不思議だった。「ナポレオンの戴冠式」のくせに、女の戴冠式じゃないか、冠をかぶせてもらうのは、ナポレオンのはずではないかと。

 

 

戴冠式という行為は、政治的な儀式だ。王位ないし帝位の就任を正式とする行為だ。フランス王の戴冠式はもともと、ランスという街のノートルダム大聖堂で行われる。(パリのノートルダム大聖堂は超有名観光名所であるが、ノートルダムは数えきれないほどある。聖母マリア教会と訳されるものだが、本筋と違うので多くは説明しないほうがいいかもしれない)。しかし、ナポレオンの戴冠式は、ランス市況ではなくて、ローマ教皇をパリのノートルダム大聖堂にわざわざ招いて行わせた。本来は、田舎国のフランス帝王がローマに赴くのが当然であるのだろうけれど。

 

画像に含まれている可能性があるもの:空、屋外

 

ここにわざわざ招かれたローマ教皇。いざナポレオンの戴冠、というときに、ナポレオンはローマ教皇から冠をパッと奪って、その手で自らの頭に乗せた。問題児、なんて言葉では言い表せない。「まじでそれはNGな」行為を、各国の皇族や聖教者の目の前でナポレオンはやってしまった。ざわざわ遠方からきたローマ教皇はおそらく激昂、周りもびっくりな権威の誇示、、、。

 

 

特に、時代は革命期である。カトリックの力は堕ちたとはいえ、誰が、どのように、権威を持ち国を治めるかは誰にも分らなかっただろう。ナポレオンが自分でローマ教皇から冠を奪った行為は、政治的にも宗教的にも、将来どんな意味を持っているか分からない。

 

それゆえだろう、この絵の中で、ナポレオンはすでに冠をかぶっている。誰によるものか?それはよくわからないあいまいさを残しつつ、愛する妻ジョセフィーヌへの戴冠を描き、最高傑作と評価され、こうしてルーブルにも無事保管されている。

 

 

画像に含まれている可能性があるもの:空、夜、屋外

画質があまりよくない。だけど、画面の中央から少し右に、やたらと黄色く光ったものがあるのがおわかりいただけるでしょうか。

この写真は、夜にエッフェル塔の上から撮影したもの。

 

画像に含まれている可能性があるもの:空、雲、屋外

これはお昼に撮影した。

 

廃兵院アンヴァリッドといって、ルイ14世の頃に作られた。ルイ14世といえば、ヴェルサイユ宮殿を作ったことで有名だが、ルイ14世の有名な肖像画ルーブル美術館にある。ハイヒールで、宝石やキラキラしたものをとにかく体中に巻き付けた、豪華で派手なことを重視した(超悪趣味な)、当時のファッションの最先端。

このアンヴァリッドの中に、ナポレオンのお墓はある。