ルーブル美術館と、フランソワ一世
フランスの王様は大体「こいつむちゃくちゃだな」と思うが、フランソワ一世のむちゃくちゃ加減は華やかだし、勢いがあって好きだ。
フランソワ一世の同期も、みなスターだ。イギリスのヘンリ八世。ハプスブルク家かつ神聖ローマ皇帝の座にも就いたカール五世(カルロス一世)。オスマン帝国全盛期をもたらしたスレイマン一世。
フランソワ一世はルイ12世がなくなった後、王位を継承する。即位して速攻戦争、イタリアに容赦なく遠征。戦争し過ぎでお金がないから、増税したり、議会の承認なしで国王がお金を自由に使える改革を起こし、結果的に絶対王政を確立させた。
イタリアにせめたりしてたら、神聖ローマ帝国の地位を継げるかもしれないチャンスが到来。もちろん名乗り出るが、ここで出てきたのがカルロス一世。ハプスブルク家の人ゆえ、おかねはあるし、一票もフランソワ一世に譲ることはなかった。
結局カルロス一世は神聖ローマ帝国の皇帝となり、カール五世に改名、そしてドイツとスペインの軍を掌握したカール五世は混乱状態にあるイタリアをめぐって、フランスと戦争した。
そうやってイタリア戦争していたら、ドイツ軍につかまってしまうフランソワ一世。幽閉されて、屈辱的な条約を結ばされる。しかし最高なのは、解放されたとたん、そんなん知らんわといって条約放棄。また戦争したりめちゃくちゃなことする。
イタリア戦争で学んだのは裏切ることだけじゃない。
イタリアの芸術や建築は、フランスよりもはるかに進んでいた。
イアリアの芸術に激しくあこがれた彼はいろんな芸術家を招いて、趣味の狩猟のために建てたフォンテーヌブロー宮殿の内装は全部イタリア人にお願いした。
そのなかでも、特別中の特別、あのレオナルドダヴィンチは、フランソワ一世に生涯を保証され、敬愛された。レオナルドダヴィンチのおうちまで近所に作ってしまう。実はフランソワ一世の部屋と、彼の家は隠し地下道によってつながっていた。こうやって彼らは密会していたらしい(付き合ってんのかよ)。レオナルドの墓もフランスにある
彼がいなかったら、あの有名なモナリザはルーブル美術館にはない。
そもそも、ルーブルはもともと要塞で、フランソワ一世が改築して宮殿にしようと計画した。天井の凝った絵や、外観の荘厳な装飾も、彼がいなければもたらされなかった。
美術だけでなく、女の人も大好きだった。
美人がいれば、イタリア人に装飾させた自分の城でとっかえひっかえに寝まくる。時に翻弄され、女の気持ちはかわりやすいなぁみたいな詩を書いたりして。愛人はとにかくたくさんいた。
レミゼラブルでしられるユゴーの作品にも、フランソワ一世がモデルとなった王は愉しむという小説がある。王に遊ばれて捨てられたメンヘラとそのお父さんの話だ。
お隣のイギリスは「贅沢は敵だ!」の精神であるし、ヘンリ八世もフランソワ一世と違ってちゃんと相手を変えるときは結婚している。
しかし、離婚が許されないため、さよならするときは死刑台にまで送り込んでいるけれど。
それと比べたら、遊ぼうが誰としてようが別にだれも咎めないフランス。死ぬよりかは遊ばれたほうがまだましなのかもしれない、、、。そんな風に、フランスの「贅沢は味方」精神と、恋愛への自由奔放さを植え付けたこの王様。
彼なしではルーブルはきっとここまで有名じゃなかった。レオナルドダヴィンチも、興味に任せて作品をこれほどまでに残すことは、まず不可能だったでしょう。
これで、未完成。
しかし、奪ったのではなく、画家からフランスに授けられたこの作品は、もう二度とフランスから出ることはない。脆い作品らしい。
小さいけど、この生々しさ、機会があったら生で見るべき作品の一つである。